おとなの絵本クラブ

大人目線で楽しむ絵本や児童書の記録。調布市・つつじヶ丘の古民家「もえぎ家」を拠点に、絵本を読み合い、語り合う会を開催しています。

大人になるって……?

「どうして大人って、悲しくても泣かないの?」

昨日、小学校からの帰り道、3年生の長男に聞かれた。数年前に死んでしまった祖父母の飼い犬のことを急に思い出して悲しくなったのだ。

「悲しくても、しくしく涙がこぼれるくらいなの? ぼくは我慢しても溢れちゃう」

口元が少しずつへの字になっていく。ランドセルはどんどん小さく見えるようになってきたけど、まだまだ子どもなんだなぁ。

「悲しいよ。でも大人になるとさ、わーんって泣けなくて、我慢しちゃうんだ。おかあさんも子どもの頃はよく泣いてたよ」

何気なく口にした自分の言葉にハッとする。大人になるって、そういうことなのか。いつから感情をおさえるってことをするようになったんだろう……?

 

先日読んだ『風にのってきたメアリー・ポピンズ』に登場した、双子の赤ちゃんジョンとバーバラを思い出す。日の光やムクドリとおしゃべりを楽しむ双子達には、日の光やムクドリの言葉がわからない兄や姉のことが理解できない。兄や姉も前にはわかっていたが、忘れてしまったのだと説明するメアリー・ポピンズ。理由を聞く双子達に、彼女はこう言う。

「おおきくなったからです。」

そして双子達にも、ムクドリの言葉がわからなくなる日が訪れるのである。

 

あらゆる生き物とやり取りすることも、感情のままに涙を流さなくなることも、大きくなるということ、大人になるということなのかな。五感に蓋をしていくようで、なんだか寂しい。

子どもってこんな気持ちなのか、こんな風に世界を見ているのか……。育児書のどこを探しても見つからない「子どもとは」が描かれていた気がする。私が絵本や童話をもっともっと読みたいと思うのは、子ども心をもっともっと分かりたいからなのかも。日々、子どもの謎な行動を怒ってしまうことが多い私には、子ども心を思い起こす必要があるのである……多分ね。

それにしても、メアリー・ポピンズって、魔法使い? 妖精? 子どもの心を持ち続けている大人? 何者なんだろう……。これだけ冷たくそっけないのに子どもたちから絶大な信頼を受けているのはなぜ? それ以外にも話の隅々に謎がいっぱい。それでいて、続編も含めて再読したい魅惑的な童話です。

風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)

風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)

 

うごめく季節

どうもむずむずする、この季節。

「あのお花かわいい! お母さんはどのお花が好き?」

菜の花、ツツジ、チューリップ……道端を彩る花々を見つけては、子どもとの会話に心が踊る。

「おうちに連れて帰る〜!」

アリ、テントウムシ、チョウ……土の下から出てきた虫たちを見つけては捕まえようとして、なかなか家にたどり着かない。

植物や虫のうごめきのおかげで、なんだかもぞもぞしちゃう。

「何か新しいことでも始めようかな」

そんなことを思ったりするのは、地面の下で、植物や生き物がうごめきだしているせい? 地面の上で暮らしている私たちも、影響を受けないはずがないような?

 

春は前から好きだったけれど、このうごめく感じが好きなんだって、最近気づきました。漢字にすると「蠢く」。虫の上に春が乗っかっている。地面の下に眠っていたものが外に出てくるから、ウキウキするのかなぁ。

うごめく感じが好きだと気付きをくれたのが『根っこのこどもたち目をさます』という絵本。先日のブログに書いた、ゴールデンウィークにお邪魔した友人のおうちで出会いました。絶妙に描かれた春の訪れのウキウキ感に、一目惚れ。

根っこのこどもたち目をさます

根っこのこどもたち目をさます

  • 作者: ヘレン・ディーンフィッシュ,ジビレ・フォンオルファース,Helen Dean Fish,Sibylle Von Olfers,いしいもも
  • 出版社/メーカー: 童話館出版
  • 発売日: 2003/04
  • メディア: 大型本
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季節が冬から春に向かう頃、「土のおかあさん」が「根っこのこどもたち」を起こすところから物語は始まります。こどもたちは春に着る服を縫ったり、眠っている虫達を起こしたりして春支度。いよいよ春が訪れると、虫や植物が土の下から上へ出て行く。あらゆる生き物が春の訪れを喜び、こどもたちと一緒に野山や小川で遊ぶ。冷たい風が吹き始めると、こどもたちは土の下にいるおかあさんのところへ帰って行き、次の年の春を待つ。今の季節にぴったりの絵本です。

 

この絵本は、1906年にドイツの絵本作家ジビュレ・フォン・オルファースによって書かれたもの。当時のドイツの家庭では、子ども部屋になくてはならないものの一つだったようです。日本では『ねっこぼっこ』というタイトルで1982年に福武書店から出版されていますが、こちらは絶版……。2005年に平凡社から、同じく『ねっこぼっこ』として出版されていて、こちらはまだ手に入るけれど、前者とは訳者が異なります。(福武書店のほうの訳者は生野幸吉さん、平凡社のほうの訳者は、秦理絵子さん)

ねっこぼっこ

ねっこぼっこ

 

対して『根っこのこどもたち目をさます』の訳者は、石井桃子さん。『ねっこぼっこ』のほうはいずれも、どちらかというと詩的な日本語訳で、淡々と流れる感じ。石井桃子さんの訳は物語性が強くて、私も娘もこちらのほうがお気に入り。「土のおかあさん」と「根っこのこどもたち」という表現も絶妙。でも、詩的な訳のほうが好きという人もいるだろうし、いろいろな訳が出ている絵本は、読み比べも楽しいです。

f:id:otonanoehonclub:20170514081200j:plain『ねっこぼっこ』の2冊は、訳だけでなく、フォントなども異なります。絶版となっている絵本も、図書館で借りて読めました。

初夏の間は親から離れて自由に遊び、寒くなると「土のおかあさん」のもとに帰ってくる「根っこのこどもたち」。「母なる大地」という言葉を彷彿させ、子どもたちを待ち受けるお母さんの「根っこ」の絵が、なんだか子宮のように見えてきます。私も子ども達にとって、安心して帰れる居場所のような大きい存在でありたいものです。うーん、まだまだだなぁ……!

田舎に心惹かれる都会っ子家族

時におふざけが過ぎて、周りから「大変だね」なんて言われることもある8歳の息子。それでも小さい頃は、本当に大人しくて、ぽや〜っとしている子どもだった。外で遊ぶよりも、家の中で絵を描いたりおままごとをするのが好き。だから超インドア派の子なんだと思っていた。

そんな彼がいつの頃からか、自然豊かなところへ行くと、高い崖や木を登るようになり始めた。その姿は、野性の目覚めとでもいうかのよう……。ひょんなきっかけで、家族キャンプデビューすると、ますます自然の中でアクティブに遊ぶようになっていった。おかげで、都会育ちであまり自然に馴染みのなかった私も、今ではすっかりキャンプ好きだ。

 

いま住んでいる調布は、都会と田舎の中間のような場所。都心にアクセスしやすいけれど、川や里山、田んぼや畑もまだまだ残る自然豊かな土地で、とても住み心地がいい。息子の大好きな木登りができる場所もたくさんある。それでも、息子の野性を引き出すには少し物足りないような気もして、より自然豊かなところに連れて行きたいなぁなんて常々考えてしまう。

 

先日のゴールデンウィークには、友人のセカンドハウスに出かけ、また私の中の自然欲(?)が引き出されてしまった。千葉の外房総にある、里山に囲まれた自然豊かな場所。子どもが遊べるブランコ付きの小さな小屋(?)のある庭と、周りには田んぼに畑、山、山、山。2泊3日の間、買い物以外は外に出かけることもなかったけれど、まったく飽きることなくその家で遊び倒した。

子ども達は何をするでもなくひたすら走り回っり、庭の小屋や木に登ったり、田んぼに繰り出しては、用水路でニホンイモリ、小さなカエル、カニなどの生き物を捕まえたり……。どんどん新しい遊びを見つけ出す。すぐに「やることないつまんない〜。テレビ見たい〜」なんて言い出す普段の彼らとは、まるで別人だ。もちろん、遊び相手がいるとか、長期休みだとか、普段とは違う状況であることも関係している。けれど、遊びを自分で作り出すワクワク感は、与えられた道具で遊ぶのとはまったく異なる、自然の中ならではの楽しみのような気がする。

自然の中で遊ぶ子どもたちは、本当に生き生きしていて、いつも以上に愛おしく感じる。息子は普段、気に入らないことがあると必要以上に大きな声を出したり、周りに当たり散らしたりして手に余ることがあるのだが、そんなことは一切ない。発散しきれないエネルギーを、自然が吸収してくれるみたい。普段ならつい小うるさくしてしまう親も、危険なこと以外は寛容でいられる。これもまた自然の偉大さのせいじゃなかろうか。

 

数日前に図書館で借りてきた『もりのこびとたち』に、3歳の娘がハマっている。森の中で自由な遊びを楽しむこびとの姿に、あのセカンドハウスで生き生きと遊んでいた自分の子どもたちが重なる。 

もりのこびとたち (世界傑作絵本シリーズ―スウェーデンの絵本)

もりのこびとたち (世界傑作絵本シリーズ―スウェーデンの絵本)

 

リスとかくれんぼ、うさぎと一緒にそり遊び、小川でダム作り、妖精とシーソーごっこ……。私たちも森で暮らしていたら、おもちゃやテレビなどに頼らなくても、自由に遊びを発掘するんだろうなぁ。絵も美しく、何度読んでもうっとりと魅せられて飽きない。

自然の豊かさや美しさだけでなく、厳しさもきちんと描かれているのが、ファンタジーでありながらリアリティがあって、この絵本の好きなところ。毒キノコの見分け方、寒い冬に備えた食料の備蓄法、狩人の罠のおそろしさ……生きるために必要な知恵は、お父さんやお母さん、賢いふくろうがきちんと教えてくれる。さりげな〜く親や目上の人への畏敬の念なんかも描かれているようで、なんだかハッとさせられる。

 

 

自然は遊びの宝庫で、すべてを包んでくれる偉大さがある。自分の子ども達にも、できるだけもっと自然の中で、自由で決まりのない遊びを楽しんでほしい。それは、おもちゃやテレビなどでの楽しみより、ずっと心と体を育んでくれるだろうし、机の上での勉強よりも、生きる知恵となるはず。

その思いは、自然豊かな土地に行く度に強くなって、移住したい気持ちに駆られてしまう。調布でも十分、自然遊びができる環境は残っているのだけれど……。とは言え、私自身も都会育ち。こびとのお父さんお母さんのように、自然の中で逞しく生きていく知恵をきちんと教えられるかと言われれば、正直自信がない。息子も「山が綺麗なところに住んでみたいな〜」なんて口にはするものの、都会の刺激的な環境や、テレビ、ゲームへの関心も強くなっているから、いざ住んでみたら刺激に飢えてしまうのでは……とも思ってしまう。

 

 

我ら、田舎に心惹かれる都会っ子家族。心と体の栄養を求めて、これからも何度となく、より自然豊かな場所へ移住したい熱が湧いてしまうのだろう。でも、せっかく自然が残る土地で暮らしているんだから、ここでできる楽しみ方を満喫すればいいじゃないか。めいっぱい自然を楽しみたくなった時に、時々そういう場所に足を運べばいい。『もりのこびとたち』で妄想体験したっていい。それが今の私たちにはきっとちょうどういいんだろうから。

見送る、守る、繋いでいく

「見送りに行かなかったら、絶対に後悔するから!」

電話の向こうにいる母に向かって、私は言った。いつの間にか目には涙も溢れていた。母の前で泣くなんて何年ぶりだろうか。

数日前、母方の祖父が亡くなった。葬儀があると言うのに、母は、私がまだ産後間もないからといって参列しなくていいというのだ。

祖父が亡くなる1週間前に会いに行こうとした時も「おじいちゃんの弱った姿を見せたら、子どもがショックを受けるだろうから」と、祖母から断られたのだ。あの時に行っていれば、最後に会えたのに……。

なんでいつもこうなんだろう。私が中学生くらいの頃、父方の祖父が病院で闘病している時も「おじいちゃんが元気になるまで待って」と2年近く会わせてもらえないまま、祖父は帰らぬ人となった。葬儀場の棺の中で静かに眠る姿を見て初めて、強引にでも会いに行かなかった自分を責めた。

 

今回も、最期の見送りさえしなかったら、また後悔する。そう思い、葬儀には必ず参列することを母に告げて電話を切った。

 

それにしても不思議だ。

正直なところ、決して「大好き」とは言えなかったのだ。父方の祖父のことも、母方の祖父のことも……。小さい頃は特に、大人の男性が苦手で、おじいちゃんという存在は近寄るのも怖かったくらい。それが今になると「あの笑顔にはもう会えないんだ」と思うと涙が出てくる。

ともかく親戚というものは、血が繋がっているから義務的に会わなければならないものだと思っていた。実際、親戚の集まりは、誰一人として楽しそうに話をしている人はおらず、義務感で集まっているような雰囲気がいつも息苦しかったのだ。ただ単純に、親族のそれぞれがあまり社交的ではないだけかもしれないが……。

家族も同様に、血が繋がっているおかげで、嫌でも一緒に過ごさなければならないものだと思っていた。きっと両親なりに愛情を注いで育ててくれたのだろう。でもそれは、いま子育てしてみてやっと気づけること。自分が子どもの時は「こんな親だったら良かったのに!」とか、「もっと私のことをわかってほしい!」なんてことばかり考えてしまっていた。家族というものに、夢など一切抱いていなかったのだ。

 

 

そんな私が3人の子どもに恵まれるとは。しかも「家族ってすばらしい!」と思っているなんて、若い頃の私が知ったら驚くだろうな。義務的に一緒にいなければと思っていた両親にも、しばらく会っていないと「会いたいな」と思うし、親戚にも久しぶりに会うと嬉しい気持ちになるのは、子どもを産み育てる経験をしているおかげなのか。

 

3人目はこの春に生まれたばかり。産後の手伝いに来て動き回る母の姿に、自分に似ているところを見つけては、「うわー、こんなところが似てるのか!」と面白がってみたり落ち込んでみたり(笑)。同じく、産後の手伝いに来てくれた義母の姿に、夫に似ているところを見つけては、「そっくり!」とクスクス笑ってしまったり。

 

確実に、私たちは彼らの血を受けて生きているのだ。

亡くなった祖父や祖母、顔も知らぬそのまた父や母の血も……。いのちはこの世からなくなってしまっても、彼らの血は、私たちの中で、子どもたちの中で、流れ続けている。

いのちを見送ったあとは、私たちが生きて、次に繋いでいく番。別れは悲しいけれど、もう会えないあの笑顔は、心の中で鮮明に輝いている。心の中で、ちゃんと生きているんだ。

 

小3になった息子は、祖父と会った思い出もほとんど忘れているにも関わらず、お別れの時に泣いてしまった。情深いところがある彼は、今年のはじめに父方の祖母が亡くなった時も泣いていた。それから少し成長したのは、「もう最期だから笑顔で見送らなくちゃいけないのに、我慢してても涙が出てきちゃう」と言ったこと。どんな風にお別れをしたらいいのか、彼なりに考えているようだ。

 

長男よ、大丈夫だよ。今は悲しいけれど、彼らから受け継いだ血を、いのちを、守っていこう。

それが生きていくことであり、先祖の方々が生きた証であり、死を受け入れることなんだと母は思ったよ。

母も、あなた達を産み育てることで、素直に「大好き!」って言えなかった先祖の方々にも、ありがとうを伝えていくよ。

 

見送る、守る、繋いでいく。

祖父母の死、息子の誕生、実母と義母に支えられた産褥期……。

ここ数ヶ月で、家族というものがさらにグッと近くなった気が。

日々の子育てにはイライラもツキモノで、反省もしばしだけれど、いただいたいのちに感謝する気持ちは忘れずにいたい。

 

 

イムリーにも、先日行われた長男の学校公開(授業参観)でも、いのちがテーマに取り上げられていました。その時に使われていた絵本がこれ。

いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」

いのちのまつり―「ヌチヌグスージ」

 

 「ご先祖様の誰1人として欠けても、自分は存在しなかったんだ!」と気づいた時の、子ども達のキラキラした目、可愛かったなぁ。そして、授業中なのにちゃっかり兄の横に座り、小学生に混じって嬉しそうにお話を聞いている娘(3歳)も。

 

3つのいのち、元気にはじけろ〜!

今日のお月様はどんな顔? #5 月にまつわる絵本

お月様とお話ができたら…考えるだけでなんだかにやけてしまう。今日のお月様はどんな顔をしているんだろう? どんなことを考えているんだろう? そんな想像を膨らませてほっこりした第5回目の「おとなの絵本クラブ」。「月」にまつわる絵本を探してみたら、想像以上にたくさんの絵本がありました。 

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今回の参加者の中には、0歳児と1歳児の赤ちゃんも。赤ちゃんの様子をみんなで見守りながら進めるのも、あたたかく、豊かな時間でした。自己紹介をしたあとは、それぞれ持ち寄っていただいた絵本や、用意しておいた絵本の中から、気になった絵本を選んで朗読タイム。 

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風邪をひいて空に浮かんでいるのがつらくなってしまったお月様と、ひとりぼっちの青年との心温まる交流を描いた「かぜをひいたおつきさま」。読み終わった後に「あ〜よかったぁ」と声が漏れるほど、大人でも惹きつけられるストーリーとイラストが魅力的。月が登場する物語に、人が寂しがっている時に寄り添ってくれるお話が多いのは、夜の闇を照らしてくれる力強さがあるからなのでしょうか。

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空の上にいるお月様が、池にうつった自分の姿を見て、つきのぼうやに取りに行かせようとする「つきのぼうや」。つきのぼうやと一緒に、空から地上まで降りて冒険に出かけるような感覚を持たせてくれる、縦長の絵本の作りが印象的。日常生活でも、お月様に似たものを探したり、ちょっとした勘違いを、子どもと一緒になって楽しめたら面白いだろうなぁ。そんな風に、子育てのヒントを得られるのも、絵本の楽しみです。

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▲今回朗読した絵本たち

 

月は1ヶ月かけて形を変えていくから、毎日いろいろな表情を見るのは楽しい。いろいろな月の絵本を読んでいたら、今日のお月様はどんな様子だろうかと妄想するのが楽しくなってしまいました。「14ひきのおつきみ」に出てくるねずみ一家のように、木の上にやぐらを立てて月見台を作り、お団子を作って、1日かけて十五夜のお月見というイベントを楽しむなんて贅沢もしてみたい。

 

その他、月からやってきた「かぐやひめ」も話題に。かぐや姫はなぜ月に帰らなければならなかったのか、参加者の方が持ってきてくださった絵本を読んでみても分からず…。「かぐやひめ」をはじめ、昔話は色々なバージョンの絵本が発行されているので、色々読み解いてみたくなりました。昔話を読み解く会を企画しても面白そう。

 

月の絵本を読んだあとは、HARAMIRAIによる特製「ツキをあげるランチ」。節分の名残を感じる、福を招きそうな見た目に、参加者みなさんワクワク! みなさん真剣にレシピを聞かれていました。(この日のメニューは、もえぎ家のブログでご紹介しています)

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会の終了時には、
「大人相手に絵本を読んでもらえるって贅沢! もっとたくさん読んでほしかった…」「赤ちゃんを相手に、どんな絵本を選んだらいいのか分からない…」
なんて声も挙がりました。

 

私自身も、8歳の息子と3歳の娘がいますが、上の子が小さい時は、何を読んでいいのか全然分からず困った経験が。3月には3人目が生まれる予定なので、生まれて少し落ち着いたら、赤ちゃんも連れて、大人も赤ちゃんも楽しめるような企画もできたらいいな、なんて考えています。

 

 

「おとなの絵本クラブ#5 月にまつわる絵本」で読んだ絵本

  • 『かぜをひいたおつきさま』(レオニート・チシコフ作・絵 / 鴻野わか菜 訳 徳間書店
  • 『ながいよるのおつきさま』(シンシア・ライラント 作 マーク・シーゲル 絵 渡辺葉 訳 講談社
  • 『つきのぼうや』(イブ・スパング・オルセン 作・絵 / やまのうちきよこ 訳 福音館書店
  • 『 14ひきのおつきみ』(いわむらかずお 作 童心社
  • 『月おとこ』(トミー・ウンゲラー 作・絵 田村隆一 麻生久美 訳 評論社)
  • 『おつきさまこんばんは』(林明子 作 福音館書店

 

次回の「おとなの絵本クラブ」は3/14(火)10:00〜13:00@もえぎ家

次回も、絵本の世界を堪能した後にHARAMIRAIランチがいただけるコラボ企画! ホワイトデーなので、「おくりもの」とか「愛」とか「感謝」とか、そんなテーマで開催できたらと思っています。詳細が決まり次第お知らせします。(3月末に出産予定なので、開催日までに生まれてしまわないことを願いつつ……)

月の不思議な力を借りて……?

「あれっ? 月の欠けた部分もうっすら見えてるよ!
月のみちかけ屋さんが、布で光を隠してるのかな?」

 

「今日は満月だからお月見だね〜! お団子たべなきゃ〜!」
(えっとー……十五夜じゃないんだけどね……)

 

「あっ、ウサギがいた! 餅つきしてるよ〜!」

 

絵本を読んで数日経ってからも、絵本に出てきたシーンがこんなふうに子どもの口から出てくることがある。ああ、ちゃーんと心の中にあのシーンが刻まれていたんだと思うと、ふっと心が温まる。こんなことも、子どもと一緒に絵本を読む楽しみのひとつ。

 

絵本の楽しみ方は、人によってまちまち。他の人がどんな風に絵本を楽しんでいるのかを聞くのもまた楽しい。それをみんなで共有できるのが「おとなの絵本クラブ」です。

 

生活に密接したテーマだと、その楽しみ方をより深められそうだと今回設定したテーマは「月」。古くから日本人の暮らしと密接に関わっていたというだけに、月にまつわる絵本は本当にたくさん発行されているようです。

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(普段「月」の絵本とはあまり意識せずに読んでいたけれど…いざ図書館で探してみると、1枚の写真には入り切らないほどたくさん! )

 

 

あなたは、どんな月が好きですか?

まんまるい満月?

ほっそりわずかに見える三日月?

 

 

新月のお願い事をしますか?

お月様が綺麗に見えると、やりたくなることはありますか?

満月の夜に不思議な出来事があった、なんてことはありませんか?

   

 

寒い日は体が縮こまって、外に出るのも億劫になっちゃうけれど。

しんと澄んだ夜空に佇むお月様を見つけると、急に力が湧いてくるような気さえする。

 

ここ数日は、冬の澄んだ空気のおかげか、くっきりと見える三日月が綺麗で。

日中にうっすら月の影も見える日もある。

いろいろな表情の月を見るのが楽しい冬の季節。

 

 

月にまつわる絵本を読みながら、楽しい月夜の過ごし方や、今年やってみたいことなどなど、ざっくばらんにお話しませんか。絵本の話をしていたはずなのに、気づくと人生や子育てのことなど、深いテーマまで話が広がっていくのが、この会の面白いところ。

 

月の不思議な力を借りて、今回もわくわくする時間が過ごせそう。

 

後半は、もえぎ家の料理びとHARAMIRAIによるランチタイム。「月」にかこつけて、ツキをあげてくれそうな食材を使った「ツキをあげるランチ」を予定しています。

 

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おとなの絵本クラブ × HARAMIRAI

月にまつわる絵本と、
ツキをあげるHARAMIRAIランチの会

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●日時  2/7(火) 10:00〜13:00(※都合により1/24(火)より変更しました)
 10:00-11:30 おとなの絵本クラブ
  自己紹介、絵本の紹介・朗読をしながら、自由に語り合い
 11:30-13:00 HARAMIRAIランチ

●場所
もえぎ家

●参加費
2,000円(お茶・HARAMIRAIランチ付き)

●持ち物
「月」をテーマにした絵本や、お気に入りの絵本があればお持ちください。手ぶらでもOK!

●定員
6名

●お申し込み(前日2/6(月)までお受けします)
下記お申し込みフォーム
https://ws.formzu.net/fgen/S66365307/
もしくは
chofumoegiya@gmail.com
まで直接メールにてお申し込みください。
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*おとなの絵本クラブとは…
テーマに沿った絵本を、大人同士で読み合い、語り合う会。詳しくなくても大丈夫。

「絵本が好きで、他の人と絵本の楽しみを共有したい!」
「絵本の選び方が分からない…他の人はどんな絵本を読んでいるの?」
「子どもへの読み聞かせの時間がちょっぴり苦痛…もっと楽しみたい!」
…など、絵本に関心のある方なら、どんな方でも大歓迎です!

▼過去の開催レポート
 #1  「よし、やってみよう!」
 http://otonanoehonclub.hatenablog.com/entry/2016/07/07/102003
 #2 「改めて読みたい思い出の絵本」
 http://otonanoehonclub.hatenablog.com/entry/2016/07/01/100323
 #3 「夏に読みたい絵本」
 http://otonanoehonclub.hatenablog.com/entry/2016/07/20/093024
 #4「あったか〜くなる絵本」
 http://otonanoehonclub.hatenablog.com/entry/2016/12/09/235842


*HARAMIRAIとは…

板前の世界で修行を積み、今は「発酵マイスター」として活躍する料理びと。難しい和食の技ではなく、みんなで手を動かしながら楽しむ料理の世界を教えてくれます。
 http://haramiai.tumblr.com/

何のために、誰のためにはたらくのか

「矛盾には気付いてる。本当にやりたいことではない。でもお金も必要だし…」

1人目の出産後、1年ほど経って職場復帰した時の、複雑な心のうち。

当時の私は日々、葛藤していた。可愛い子どもを置いてまでやりたいことなのか? 慌ただしく家を飛び出して保育園に送り出し、帰ってきたら時計に追われながら睡眠の儀式にこぎつけて……。やることといえば、世の中を効率的に、便利にするための仕事。子どもとの生活とは真逆の世界。子どもというものは、大人の足なら5分で着くところまで、好奇心に任せてあっちいったりこっちいったりで、30分はザラな生き物だから。

 

早くしてくれ〜と思いながらも、そののんびり具合さえ心地よかったはずなのに。

日々を慈しむこの感覚を大切にしたい、と思っていたはずなのに。

でも、やっぱり仕事は大事だしさ。

必要としている人もいるわけだしさ。

子どもの将来のためにお金も必要だしさ。

 

そう言い訳をしながら、「本当に今の私に必要な仕事なのだろうか……」という自分の心の中にある矛盾を見ないフリしていた。

 

「はたらく」は「はた(傍)をらく(楽)にする」にするためのもの、なんて考えを聞いたことがある。語源ではないようだが、『みどりのゆび』(モーリス・ドリュオン 作 / 安東次男 訳)を読んでいて、ふとこの考えが頭をよぎった。

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主人公は、触れたものに花を咲かせることができる不思議な「みどりのゆび」を持ったチトという名前の少年。トゲトゲした雰囲気の刑務所を明るくするには? 貧しい人たちが住む街並みを変えるには? 暗い表情をした入院中の女の子が、明日に希望を持つには? 戦争を止めるには? …あらゆることのために自分の「みどりのゆび」を使う。

彼がみどりのゆびを使う時に「チトは、はたらきました」と表現されるので、「はた(傍)をらく(楽)にする」が頭に浮かび上がってきたのだ。

 

「どうしたらこの人を笑顔にさせられるだろうか?」と考え、自分のできることを一生懸命やろうとするチトの姿に、胸を打たれる。はたらくって、そういうものでありたい。自分が正しいと思うこと、世の中で正しいと思われていることは、時に矛盾する。その矛盾に気づいても、お金のことだったり、周囲の目だったり、あらゆる考えに囚われて、自分が正しいと思う方向に軌道修正することは、難しい。

 

でもみんな、チトのような「みどりのゆび」を持っているはず?

誰にでも、世の中を笑顔にするためにできることがあるはず?

使わずにいるだけだよね?

私が、誰かのためにできることって何なんだろう?

 

フランスのパリに生まれ、第2次世界大戦への出経験がある作者は、この本の中で戦争も大きなテーマにしている。どうしたら戦争を止められるだろう。みんなが持っている「みどりのゆび」を使えば、止められるかもしれない。そんな思いを未来の子ども達に託したくて、この童話を書いたのだろうか。

 

おとうさんはいいひとなのです、そうでしたね。いいひとで、しかも兵器商人なのです。ちょっとかんがえると、むじゅんしているようにみえます。じぶんのこどもをとてもかわいがっているのに、ほかのひとのこどもたちをみなごろしにするために、兵器をこしらえているんですからね。でも、こういうことは、わたしたちがかんがえているよりも、ずっとたくさん、世の中には見うけられることです。

 

そう、世の中には、いや、大人にはたくさんの矛盾がある。

「そうは言ってもさ……」と言い訳したくなった時。

矛盾を乗り越えて行く勇気を失いそうになった時。

何のためにはたらくのか、誰のためにはたらくのか、見失いそうになった時。

そんな時、この本をまた手に取りたい。

 

 

お話の中で、度々出てくるドキッとするようなフレーズも忘れがたい。翻訳者の安東次男さんのあとがきによると、フランスの童話には、お話の筋よりもきめの細かさ、詩的な雰囲気や言葉の面白さを大切にする特徴があるという。

花ってさいなんがおこるのをふせぐんだよ

おとなのなみだはからだのなかで凍っていて、そのため心までがつめたくなっているんだ 

さり気ないチトの言葉が、ぐさぐさと心に刺さる。大切にしたい、ピュアな心。

 

 

以前に『モモ』(ミヒャエル・エンデ 作 / 大島かおり 訳)を読んだ時にも、大人の矛盾とか言い訳について考えた。その時に感じたことを、天狼院書店という書店のメディアに掲載されたので、こちらも読んでみていただけたら嬉しいです。

忙しい子ども達の近くにいる、忙しい大人達へ - 天狼院書店

 

大切なことに気づかせてくれる児童書。子どもの時には親しんだことがなかったけれど、大人になった今だからこそ、しみじみと味わっています。 子ども向けだからと言って手を抜かず、むしろ子ども向けだからこそ、真摯に描かれているのは、絵本と同じなのかな。